いわゆる「まじめな人」ほど、うつや不安・コントロールできないほどの怒りや悲しみを感じることが多くあります。そういう人たちには多かれ少なかれ「完全主義」なところがあります。物事をきちんと最後まで、よりよい形で行わせる完全主義が、一転して人を現実になじまない行動様式を取らせる。今回は完全主義をピックアップしてみます。
<完全主義とは>
どのような計画であったり、どれだけ綿密に作られた物であっても、あら探しをしてみればどこかに不完全な部分があります。そもそも本当に完全なものとは、自分の頭の中での想像や、幻想の中にしかありません。冷静になってみると誰にでもわかる様に、私たちの生活している現実世界には完全なものというのは手に取れる形では存在することが出来ません。
完全主義に支配されている人は、そうでない人に比べて心が揺れ動き、つらい思いをすることが多くあります。自分が意識しているにせよそうでないにせよ、自分が考えるゴールには手が届かないのですから。
極端な話をすると、その理想に届かない理由を自分のせいにするなら「うつ」が出てきたり、他の人のせいにするなら極端な怒りが出てきたりします。(もちろん実際のうつや怒りはもっと複雑なシステムになっていますが)
またこのような自分は努力してもそれが報われることがない、という経験の繰り返しは、本人のやる気を奪っていきます。周りからそうでない様に見えても、自分の中では失敗しか繰り返していない心は、そのうちに自分は何をやっても無駄だという誤った結論を導き出したり、「あるいは、努力しても完全に[100]を得ることが出来ないのならば、はじめから手を付けない方がましである」という様な偏った考え方を導きやすくなります。
完全主義者で、何もかも上手にやりたいと考えている人が、そうでない人よりも上手に物事が出来なくなってしまうという矛盾がここで発生してしまうことも珍しくないのです。
<完全主義の克服について>
カウンセリングルームに来る方の中にもこの完全主義にとりつかれている人が多くいます。また、そのことに気が付いている人も少なくはありません。けれども、長年慣れ親しんで今まで使ってきたこの考え方を手放すことは、原因に気が付いたからと言ってすぐに出来るものではありません。考え方というのは私たちが考える以上に変えにくいものですから。
元々完全主義的傾向を持つ人は、自分やほかに対する要求水準が高く、いったん仕事を始めてしまえば手を抜くといったことがほとんどありません。そのために、完全主義の克服は
1.目標を適切な物に変える
2.実際に目標を変えたり下げたりしたことで自分が満足できるかどうかを行動の結果から見直す
3.完全主義であることが、自分をどのように守っているのかを明らかにする
4.自分のしたことや、他人のしたことに対する客観的で適切な評価を身につける
ということを目指します。
完全なものを求める気持ちは誰にでもあります。問題は、完全主義そのものではなく、行き過ぎて自分を縛ってしまう完全主義です。適度なコントロールできる完全主義は、自分の仕事や育児、学習など生活の全般に目標と、その目標を超えることの喜びを与えてくれます。