こころを器として例えると、感情やその時浮かんだ考えなどはその器の中身に例えられます。エンジンとガソリンのような関係ですね。その様な考え方にたつと、色々な出来事が起こって感情や考えが生じている状態というのは、エンジンにガソリンが入れられていくことに例えられます。私たちはこころの中のものをエネルギーの一つとして行動を起こします。
こころの中身の関係とエンジンとガソリンとの例えで違っていることと言えば、こころの中身はうまく使われることによって「こころそのもの」を作る材料になるということですね。ガソリンはどれだけうまく使っても、エンジンにはなりませんけれども。
こころの中のもの、感情とか考えとかいったものは、私たちが人間らしく、多彩に、そしてその時々で自分にあった行為をするために必要なものです。けれども、特に不快な感情(怒り、悲しみ、罪悪感、憎しみ、寂しさ、等々)に多く見られますが、感情を否定をして自分では感じていないように振る舞うことがあります。こころの中にある強いエネルギーを感じることが、何らかの理由で邪魔をされることがあるのです。その様な状態は、器としてのこころにはとても危ないことです。
こころの場合、抑え込まれて使われないエネルギーは、こころの中にたまっていきます。容器の中の圧力がどんどん高まっていくところを想像するとわかりやすいかもしれません。自分からも無いことにされてされて体験されることのないエネルギーですから、自分では押さえているので気づいていません。けれども、パンパンにふくれた風船の圧力が高まってきて柔軟性を失い、少しの衝撃で簡単に割れるように、こころは以前の柔らかさを失い、どんどんと堅くなっていきます。
堅くなってしまったこころは余裕を持つことが出来ません。柔らかさが失われている分、何か刺激があった時に十分に受け止めることが出来ません。そして、自分ではやりたくないと思っているような方法で外部に対して「反射的に」行動をしてしまうことが多くなります。特に自分が目を向けない部分や否定している部分を突かれたときは、自分も他の人も驚くほどその場に合わない反応をしてしまいます。「頭ではわかっているんだけれども・・・」という行動が多くなってきます。
そしてその様な体験を繰り返すと、だんだんと自分と周りの間にも、自分と自分の間にも悪い循環が起こってきます。かたいこころはいっそうこころをかたくし、またそれが自分の周りの物事をよりいっそううまくいかなくする。このような循環に一度はまってしまうと、自分一人の力でそれを抜けるのはとても難しいことになります。
カウンセリングはその様なときにゆっくりと自分のこころのバルブをゆるめて、自分の気持ちを体験する場でもあります。怒ること、恥ずかしいこと、罪悪感、何もかもが嫌になる気持ち、人には様々なマイナスの感情もプラスの感情も、本当にいろいろなものがこころにはあります。その様なものを感じないように、見ないように避けて通っていてもいずれはそれはふとした機会に自分の前に顔を出します。私たちは自分の影を振りきることが出来ないように、自分のこころの中身も振り切ることは出来ません。
自然に子どもの時から、こころの中のプラスのこともマイナスのこともうまく出すことが出来る人もいます。また、それが苦手な人もいます。感じていることの表現も、スポーツや歌のように、得意な人もいれば苦手な人もいるのです。ただ、練習をすることによって、わたしたちは自分の感じていることをより適切に表現できるようになりますし、その結果こころを柔らかくできますし。
マイナスの気持ちもプラスの気持ちも、それを適切に表現して、受け止められることを通じて体験すること。それがこころを柔らかくしてより大きなこころを作り、現実の中でうまくやっていく一つの方法でもあります。
2003年4月23日