メンタルな問題が長くなってくると「ひょっとしたらもともと自分がこういう人間だったのではないのか」と疑いを感じるようになってきます。うつではなくて、もともとネガティブな性格なんじゃないのか。パニックではなく、もともと弱い人間なんじゃないのか。抱えている問題で人間関係が混乱しているのではなく、もともと私の持っている性格で人との関係が悪くなっているんじゃないのか。病気でいろいろなことができなくなっている訳じゃなくて、もともとなまける人間だったんだろう。そんなふうに「自分が悪い」からこそ今の問題が起こっているんだ、と考えてしまいます。
こころは複雑なもの
こころはとても複雑なものです。愛情と憎しみが、努力と怠惰が、喜びと喪失感が、同時に存在することができます。矛盾する思いが共にあり、自分からも他人からも見えるとてもわかりやすい部分もあれば、誰からも見えない、「自分がこんな事を考えているなんて」と思うようなものもあります。こころは単純なものではありません。けれども問題や病気はこころを単純な反応で埋め尽くしてしまいます。うつ状態にある人には、全てのものが灰色で悲しむべきことであり、これから物事が悪くなっていく予兆であり、自分では対処できないことに見えます。不安にある人には、全ての見えるものや音や感じるものが自分の安全を脅かす印であり、次の瞬間の破滅的な結果につながるものに感じられます。問題や病気はその人特有の生き生きとした多様な反応や生き方を隠してしまいます。
ケガで体が痛い時、カゼをひいて高熱があってからだがだるい時には、自分のいろいろな思いを感じる余裕はありません。ただ寝込んでいることで精一杯になることは普通のことです。体がつらくて、ちょっとしたことでイライラすることや、なんだか理由はないけれども悲しくなって落ち込んだ気分になることは普通のことです。人に当たりやすくなってしまうのもわかりますよね。それらのことを「性格の問題だよね」と一言ですませることはありません。なぜならケガや病気への対処で精一杯になっていて、その人らしい反応をする余裕がないことを私たちは知っているからです。痛みやだるさといったものは、その人らしさを奪います。
問題が少しでも軽くなった自分、なくなった自分は今と同じように考えるだろうか?
メンタルな問題も、苦しい時にその人の個性的な反応を奪ってしまうことは体の病気や問題と同じ事です。そこに痛みやだるさがある事で、ありうる「自分らしい考え方・対処」ができなくなってしまいます。メンタルの問題は手にとって見ることが難しいだけに、より「自分が悪い」と捉えがちになってしまいます。
すぐにメンタルの問題を解消することが難しくとも、(すぐに対処ができるなら、こんなに大きなことにはなっていないですよね)、少しでも荷物を軽くしてみること。あるいは、一時的につらい考えを止めてみること。そうしてみることで、やっと「そういえば自分はこう考えるんだよな」と、自分らしい考え方が出てきます。一人では落ち着いてそう考えることが難しいときでも、カウンセラーと共になら問題を少し保留にできる、そんなふうにできると少しずつ問題も変わっていきます。