カウンセリングを行なっていっても、現実の状況の変化は特にはじめはとてもゆっくりとしたものです。普通に考えると、問題が解決をするということは、現実的なことが変化することだと考えられています。けれども、現実の状況だけを今すぐに多少変えたとしても、物事のとらえ方や対処の仕方が以前のままであるなら、そこにはまた姿を変えた同じような問題が発生しがちです。カウンセリングの目的は、もちろん現実が少しでも生きやすくなることとあわせて、物事のとらえ方や考え方を変化させ、自分を生きていけるように援助をすることにあるからです。
そうは言っても考えを変えることは、意識的に行なおうとするとずいぶんと難しいことです。どのような要因が「考えA」→「考えA'」への変化を導いているのかと思うと、なかなか簡単に答えは出てきません。私たちの考え方が変ることは確実に起るものなのですけれども、自分がなぜ考え方が変ったのか、ということは答えにくい問題です。
知的な理解は不思議なことに考えを変えることにはなかなか結びつかないようです。驚くかもしれませんが、こころの困難を持っている多くの人達が、自分の持っている苦しさの非合理なことに十分に気が付いているだけではなく、これから起るであろう大変さもわかっていることが多いのです。決して物事を知的に理解する力に問題があるわけでもなく、わがままや今後のことや周りの大変さを過小に見積もっているわけではないのです。現実が見える故のきつさ、そのうえ変えることができないという絶望感こそが、無力感や怒りの底にあることも珍しくはないのです。
どうも知的な理解というものはある決まった方向へ考えや行動を突き詰めていくことは得意のようですが、どの方向へ進んでいくのかとか、今までやってきた方向を変えて別の方向へ進んでいくのは苦手のようです。「わかっているけど・・・」というのは日常私たちが体験することですよね。こんなふうに、知的に自分の行く道をコントロールすることは、周りが考えるよりも難しいことです。一度きつさのルートに乗ってしまうと、知的な力が強ければ強いほど、きつさのサーキットはより速やかにより効率的に自分を苦しめることになります。考える力が強いほど、一度苦しさのルートに乗ると脱出するのが難しい様子が見られます。
知的な理解をどのようにして全人格的な理解にしていくのかというのはずいぶんと言い難いことです。言葉にしたとたんにそれは知的な理解となってしまって、ますます自分を縛ってしまうことになりがちです。もちろん自分の苦しさへの知識は必要なものなのですが、もう片方の自分を支えるものである「ああ・そういうことだったのか」とこころから思えるようになる道筋をカウンセリングは開きます。