ギフト

  最終更新日:2026年4月23日 

執筆:公認心理師 佐藤康幸

カウンセラーとしてそれなりの数の人たちと出会い、じっとお話を聞いていると、人の持って生まれるいろいろな能力には、それぞれに大きな違いがあることに気が付きます。

 

今回は、一人ひとりが持つ「ギフト(個性)」と、それが生きづらさに変わってしまう仕組み、そしてその捉え直し方について解説していきます。

あなただけの凸凹について

•他の大勢よりも早く走れる人

 

•多くの人たちが聞き逃してしまうような音が聞こえる人

 

•ものの細部の美しさに強く惹かれる人

 

•抽象的な思考の得意な人

 

•常に全体を視野に入れておかないと落ち着かない人

 

•子どもととてもナチュラルに仲良く過ごせる人

 

•きれいである人

 

•記憶力が強い人

    

近くからじっと見てみると、平坦ないわゆる「一般的な人」というのは、一人もいません。一人一人が否応なく個性的であり、それぞれの凹凸を持っています。その能力や情熱のようなものは、本人が選ぶことなく与えられたギフトです。光り輝くものもあれば、こんな能力はなければ良かったのにと思うものもありますけれども。

 

 

不思議なことに、あるいは少し考えてみると当たり前のことかもしれませんが、私たちのほとんどは「自分のできることは、他の人もできる」と信じています。自分の感覚を通じて世界を見ているために、それが当たり前のことに思えてしまうのです。

 

 

けれども、耳の敏感な人が、他の多くの人がなんということもなく過ごせる雑音に耐えられないことは、少し想像力を働かせると理解できることです。

 

うん、そうだろうなと。他の人よりも耐え難かったり、逆に他の人には見えないものが見えてしまったりすることが、成長してくる過程で「自分にこらえ性がないからだ」と解釈されてしまうことがあります。あるいは「他の人はあまり努力をしないんだな」と感じたりする。

 

どちらも、自分のギフトを正確に見ることができないために起ることです。

 

また、自分があまりにも簡単にある種のことができてしまうために、自分の達成したことに価値がない、「ずる」をして得たものだと考えてしまうことがあります。

 

本当はそれがギフトであるにもかかわらず。

 

ギフトは選べるものではありません。けれども、そのギフトとともに、どう生きていくかは、少しずつ選んでいくことができます。

呪いのかかったギフト

ギフト自体は、能力やありかたの偏りであって、そこに価値判断は含まれていません。ただの、その人の特性です。

 

けれども、そのギフトに呪いがかけられることがあります。

 

素晴らしいと思われる能力であっても、周りからマイナスの評価を与えられ続けることで、ギフトは呪いに変わっていきます。

 

理解できない行動に「おまえが悪いんだ」という言葉や態度を向けられること。それが積み重なることで、ギフトに呪いがかかってしまうのです。

 

 

 

 

 

例えば、記憶力が良いことは、とてもうらやましい能力のように見えます。けれども「何でそんな細かいことを覚えているんだ。重箱の隅をつつくようなことを覚えているなんて嫌な人だ」と言われ続けるなら、「あぁ、自分はそんな細かな嫌な人なんだ」と思い込んでしまうことになります。そうして記憶の力は、呪いの力となってしまうのです。

 

 なんと言っても、その人にとっては、記憶してしまうことも、その記憶と現在を照らし合わせて違いを認識してしまうことも、自分でコントロールできることではないのですから。

 

 呪いのかかったギフトは、それが強い力を持つほど、本人を苦しくさせてしまいます。

 

ギフトは光を持つがゆえに人を引きつけます。そのために自分の「こう見てもらいたいな」という意志とは違うところで他者から評価されたり、良くも悪くもいろいろな人が寄ってきたり反発したりすることになります。

 

力を持つが故に、自分を追い詰めていく。そんな皮肉なことが起ります。

 

 

自分が悪い人間だから苦しいのではありません。ギフトに呪いがかかっているから、苦しいのです。

呪いを解くということ

では、どうしたらギフトに呪いをかけずにすむのでしょうか。あるいは、すでにかかってしまった呪いを、少しずつ解いていくことはできるのでしょうか。

 

一つの手がかりは、想像力です。

 

自分に理解しにくいできごとに出会った時、それは子どもの行動であったり、パートナーや友人といった近しい人の言い分であったりするのですが、思考を止めずに想像してみること。「その人の行動や考えを起こさせる感覚は、どのようなものなんだろうか」と。

 

私たちは他の人がどのような世界で生きているのかを、直接に理解することは難しいものです。家族や友人といった親しい間柄であっても、他者の行動が理解できないことはごくごく普通に起ることです。自分のことですら、考え始めると理解することは難しいのですから。

 

けれども、隣にいる人の行動に何か感情が動いたり、「なんでこんな不思議なことが起るんだろう」と感じたりすること自体が、その人との間に理解可能な領域が存在するということの証明です。完全にはわからなくても、想像し、小さな理解を積み重ねていくことはできます。

 

もう一つ大切なことは、自分のギフトと周りの状況を、少し遠くから眺めてみることです。

 

 

 

 

•「自分が悪い人間だから」「自分がさぼっているから」、今のつらさが起っているのではありません。その価値判断の前に、自分のギフトの特殊性を知ること。

 

•なぜそのようなきついことが自分に起っているのかを、少し距離を置いて考えてみること。

 

•周りの人には見えていないもので、自分には見えているものがあることを知ること。

 

 

 

そうすることで、きつさを和らげるための、現実的な手がかりが少しずつ見えてきます。

 

 呪いは、知ることから解け始めるのです。